父親の事業を手伝っていた時代
今から約20 年前の話になりますが、私が脱サラして事業を興すまでの間の33歳くらいの3年間は父親の仕事を手伝っていた時期の事です。
今でもネット通販事業の主力商品である自動車のフロアマットや販促ノベルティグッズをその当時は、自動車販売店や自動車整備工場に出向いて営業をかける仕事でした。
父親は西日本、私は東日 本を廻ります。事前に下調べした新規顧客の開拓や既存のお客様を訪問するのですが、当時の私は不満が蓄積して爆発しそうでした。
なぜなら一回出ると2週間は戻らないのですが、その2 週間の営業成績が父親が300 万円の売り上げに対して私はの売り上げは30 万円しかなかったのです。
それにはいくつかの理 由が有ります。
父親は自動車屋さんが粗品として配るような販促品を売るのが得意で、年に一回の父親の営業訪問を待っている自動車屋さんもたくさん居るのです。
1,000 円くらいの商品が500 個売れると一軒で50 万円と私の2 週間分以上の売り上げです。
それに対して当時の私は外回りの営業などした事もなく、新規顧客の開拓を中心に1 件の売り上げが3 万円にしかならないフロアマットを中心に売っていました。
私もその当時若輩者ではありましたが、それなりの考えとビジョンを持って営業に廻っていました。
そもそも父親が売るのを得意にしていたノベルティグッズ自体の商品価値に興味が無かったのが一番です。
誇りの持てない商品は、やる気の無さが相手にも当然伝わるので売れません。
それより、一回の売り上げ額ではなく、リピート性の高いフロアマットに力を入れるべきだという考えが有りました。
父親との事件
私の不満とは、私の売り上げの少なさを父親自身の売り上げと単純比較して、「お前は会社のあしを引っ張ている」という父親の言動です。
私もそれなりの口答えをするものですから、しまいには父親の湯飲みに入っている熱いお茶を頭からひっ掛けられた後に 力いっぱい左顔面をひっぱだかれるという事件が起きてしまいました。
これにはもう一緒にはやっていけないと思いその場を飛び出しました。
しかしこのままではいけないと思いつつどうしたら良いのか分からなくなってしまった私は、人生最初で最後の悩み事相談を恩師である義理の叔父にしました。
人生で最初で最後の相談
その時掛けられた言葉は一生忘れませんし、今でも思い出すと目頭が熱くなります。
「法義、物を売 ろうとするな、焦ることない、まずは人間を売ってこい」と言われました。
この時に教えて頂いた義理の叔父も10 年前に亡くなり、「お前は会社の足を引っ張ている」と私に言った父親も1年前に亡くなってしまいました。
今は2 人とも居なくなってしまいましたが、『物を売るな人間を売れ』は今でも私の商売 における原点ともなっています。
また父親の事も決して軽蔑していたわけでも無く、ひたむきに2 週間の出張で多いときに500 万円も売り上げた実績は大したものですし、何よりも営業成績が本人の生きがいの様でした。
前回のブログの『物を売るな事を売れ』と今回の『物を売るな人間を売れ』を参考にあなたも原点に立ち戻ってみるのはいかがですか。
ヒントは必ず見つかります。
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